古地図で辿る広島の変遷

かねてから広島のことを勉強しておこうと思っていたのだけれど、ちょうどそんな課題をする機会があったので、ちょっと腰を据えて調べてみた。大学でやっていたように、古地図を比較しながら広島の街区がどう変化してきたかを追っていくと、広島は、江戸時代は水運、近代は鉄道、戦後は自動車と、時代ごとに異なる交通網のレイヤーによって今の街が形成されているのではないかと、そんな風な印象を持った。

江戸時代:運河と街道による街区形成

江戸時代:運河と街道

  • 江戸時代の広島は川や濠、運河によって街区が形成されていた。
  • 市内の川を横断する東西交通はほとんど西国街道(山陽道)のみ。
  • 西国街道の一部は、現在の本通りになっている。
  • 南北交通に運河があった。西堂川は現在の鯉城通り、平田屋川は現在の並木通り。
  • 外濠は明治時代に埋め立てられ、現在の相生通と八丁堀(電車通りの裏通り)。
  • 現在の小町周辺は東寺町と地名の記載がある。だからお寺が多いのか!
  • 江波や舟入、黄金山南側には、当時の海岸線に由来する道路が残っている。
  • 江波山もかつて島だったらしいが、1730年頃の絵図では既に陸続きになっていた。

明治~大正時代:宇品の埋め立てと鉄道・電鉄の開通

明治時代:軌道化

  • 明治22年、千田貞昭による宇品港開発で一気に宇品が埋め立てられる。
  • 明治27年、広島駅が開業。
  • 明治30年、広島駅から宇品へ向かう国鉄宇品線開業。昭和47年廃止。
  • 大正元年、広島電気軌道(広島電鉄)が開業。開業路線は広島駅~相生橋、紙屋町~御幸橋、八丁堀~白島。
  • 続いて相生橋~己斐、御幸橋~宇品線が開業。その後本川~横川、宮島線が大正15年までに開業。
  • 江波線が開業するのは終戦前の昭和18年。

戦後:埋立と東西交通の発達

戦後:東西交通

  • 軍用地は国の管理下で再配分された。二葉の里再開発地区は元練兵場。江波駅はかつての射撃場。尾長の火葬場も演習場跡だった。
  • 1950年には吉島・江波・観音の沿岸が埋め立てられ、現在とほぼ同じ形になる。
  • 黄金山の南側はマツダによって埋め立てられ、1966年に現在とほぼ同じ形になる。
  • 商工センターの埋立は1966年に始まり、完了は1982年。
  • 1967年に太田川放水路の治水事業が完了。福島川と山手川が太田川放水路として合体。
  • 戦災復興計画で平和大通りが1965年に完成。実は西国街道以南に初めて東西横断道路ができた。
  • 1966年の地図で国道2号新広島バイパスが開通。西広島バイパスの開通は1970年。
  • 空港問題などあり、商工センター~宇品までの横断道が全通したのが2014年。

参考にしたページ

あとはWikipediaとか図説市史とか。