思い出川を語る。

 とうとうレポートで『思い出川』こと基町護岸を取り上げることができたので、実はレポートをコピペするだけだけど、思い出川を語ります。今明かされる思い出川誕生秘話。

– – – 以下、今日出したレポートそのまま抜粋。 – – –


太田川基町環境護岸

<概要>
所在地:広島県広島市中区基町
設計者:中村良夫、北村眞一、東京工業大学工学部社会工学科中村研究室(当時)
設計主旨:
 この計画は1979年に着手され、1983年に完成した。河岸の緑地は戦後復興の際既に形成されていたが、都市との関係性が希薄であった。そこで広島市の中心にあり市を代表する緑地(中央公園)や歴史資源(広島城)、新たな景観である県営基町アパートなどがある空鞘橋周辺の護岸を整備し、これを広島における都市の水辺の将来像として提案していこうとした。
 空鞘橋上流部分は市街からやや離れて、東側には中央公園と県営アパート、北側には三滝の山への眺望がある自然的で穏やかな空間であるため、ゆったりとした勾配で川と公園をシームレスに結ぶ曲線的なデザインにし、下流部分は博物館や市民球場、大型商業施設に近いため直線的なデザインとしたが、よりアーバニティを高めるため多様な利用を想定して堤防敷から高水敷にかけての傾斜を一部切り欠き、様々なスケールの広場を設け空間の分節化を図った。
 尚、この基町環境護岸は2003年に土木学会デザイン賞において特別賞を受賞している。

<基町護岸と私>
 基町護岸が土木界の先駆的試みだったことを僕が知ったのはつい最近である。都市河川整備において治水一辺倒ではなく親水性も持たせようとした先駆的な事例であったということを知り、「まんまとハメられた!」と僕は思った。文化祭の打ち上げでこっそりお酒を飲んで盛り上がるときに、体育祭の打ち上げにみんなで花火をしようというときに、高校時代、事ある度に集まっていた場所こそ、この基町環境護岸なのである。調子に乗りすぎた先輩はここから川に飛び込み満潮で見えなくなっていた水制工で血まみれになり、告白するも撃沈してしまった友達はバカヤローと叫びながらここから渡すつもりだった指輪を投げ棄てた。そんな数々の思い出の舞台となっていたこの場所はいつしか僕らの間では『思い出川』とまで呼ばれるようになっていた。しかしながらこんなこと計画者からしてみれば、なるべくして『思い出川』になったわけである。すべては20年前から、中村良夫に仕組まれていたことだったのだ!奇しくも僕は身をもってして、この基町環境護岸が都市河川の中で実に親水性の高い空間であるかということを実証していたのである。
こうして私の『思い出川』にまつわる新たな思い出が増え、いつかこのことをレポートで書きたいと思っていたので、今回晴れてレポートの題材として基町環境護岸を選びました。但し『思い出川』の思い出は全て空鞘橋下流部で起きたことであり、上流部の印象は殆どありません。上流部は最近POP’La通りと命名されて市民活動が活発になっているということを知り、上流側は陽(ハレ)の親水性を、下流側は陰(ケ)の親水性を持つ空間と認知されるようになったのではと考えております。下流側でずっと遊んでいた僕としては、上流側の市民活動は眩し過ぎて少し胡散臭くも感じます。市民が集まると地域の活性化と称えられ、学生が集まると治安の悪化と問題にされるこのご時世、環境護岸がつくってきたそれぞれのカラー、多様な利用がこのままうまくバランスをとりながら保たれていけばいいと思います。

【参考文献】
・北村眞一ホームページ 講演アーカイブスより http://www.js.yamanashi.ac.jp/~skita/society.html
・中国新聞記事 ひろしま都心のあした http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/toshin/040325.html