小学校の思い出。


 居酒屋甲子園の人に影響を受けた小学校の先生が異様な朝礼を行っているという動画。この動画を最初は異様に感じたけど、僕の小学校の時の担任の先生も、大なり小なり似たようなことをやっていたように思う。そのことを思い出してみると、関係者が嬉々としてこの動画を上げていることもわからないではない。まとまりのない子どもたちの、自主性とかやる気や集中力を持たせる手法をどの先生たちも考えてて、そうするとこういう手法が成功例にみえるのではないか。だから小学校の先生の間ではこの動画はやっぱりスゴい!と思われているかもしれない。

 これがマインドコントロールだとか批判されて、今の僕にも奇異にみえるけど、必ず授業で1回は発言しようとか、縄跳びマスターとか、読書カードとか、そういったやる気にさせる方法だって、小さな社会で独自のルールを作って子どもたちを煽っていることに変わりなく、「行き過ぎた指導」の境目は難しい。学校の外にいる僕らが異様に思うかどうかが境目の基準だとして、その基準に敏感になりすぎたのが手をつないで同着ゴールとか、桃太郎が5人いる演劇といった、これまた極端な指導なのかもしれない。バランスの一言で片付けてしまっていいものか。
 

 これもその手法のひとつだったのかなと思うのだけど、あるとき、先生が言ったことを後に続いてみんなで言おうみたいなことがあって、いつも明るい○年○組とか、そんなことを唱和していた中で僕だけみんなと一緒に言わなくて、後で一人呼び出されて怒られたことがあった。
 最初は悪ふざけだったのか、別に深い考えは無く言ってなかったんだけど、僕を名指しして先生が煽るようになり、なんだか不気味に思ってそれからは頑なに言わないを決め込んだ。そして先生は僕を残して、どうしてみんなと一緒に言えないのか、君はいつも明るい○年×組と思っていないのか、というようなことを懇々と怒り、なんでみんなと同じことを言わなかっただけでこんなに怒られるのか僕には全くわからなかった。
 このことはいつまでも腑に落ちなくて、何年か前に同窓会があって先生と久しぶりに会ったときに、あのときどうして僕を怒ったのか改めて聞いてみたのだけど、そんなこと先生は覚えているはずもなく、僕は先生から納得いく回答を得られることを諦めた。

この動画を見て感じた不気味さと悩ましさ、それが回答だったのかな、とそんなことを思った。