めっきり更新を減らしていますが、決して身体や精神を害しているわけではないのです。ブログ書くくらいなら論文書けという神の声が聞こえる気がして、さすがに自粛している次第です。今後はもう少し締切前の院生らしく不健康になるつもりです。以下、最近思ったこと色々。でも殴り書きなのでそのうち消す。
広島皆実、高校サッカー優勝おめでとう!見たことも行ったことも無いし知り合いもいないけど隣の高校というだけで何となく親近感が沸くよ!
年明けに4年生の卒論が返ってきて、これがお年玉かーとか思っていたが、卒論のオトシ玉なんて縁起悪すぎだろうと独りでツッコミをいれてニヤニヤしていた。
いつかどっかで言った気もするけど、地図をあまりに手軽に見られる僕たちは、空間に対する認識構造が昔の人とは根本的に変わってるんじゃないかと思う。僕たちは普段地面に対して水平に空間を見ているのに、地図は地面に対して鉛直な視点を与える。この鉛直な視点があまりに日常的になったことで、例えばある地域を思い浮かべる時に、昔の人は地面に水平な風景的なイメージを持つのに対し、今の僕らは地面に鉛直な地図的なイメージを持ってたりしないだろうか。そうした時に、認識構造の変化をふまえないと、既往研究をそのまま参考にすることは怪しくなってくるんじゃないだろうか。
明け方に文章の言い回しを考えていると変な電波を受信して、「よって本研究では、サンダルをぐーるぐる、ぐーるぐる、ぐーるぐる・・・」と何を考えているのかよくわからない状態になることがしばしばある。
1人1台デジタルカメラを持つようになったことも、「ものを見る」という構造に変化が起きているような気もする。例えば富士山を見た時に、カメラが無い時代は目で直接富士山を見るから、周囲の空間も視界に入って空間的に富士山を見るわけだ。ところが気軽に写真を撮るようになったことで、カメラの額縁を通した富士山を見ることが多くなった。そうすると周囲の空間は排除されるようになって、画面を通して平面的に富士山を見るようになる。こうした見かたが一般的になると、対象となる眺望さえうまく切り取れればいいわけだから、写真を撮る場所、つまり囲繞空間は気にされなくなってしまうんじゃないだろうか。
この前とくダネにも出てたね、が~まるちょば。喋ってるとこ始めて見た。ふと思い立ってジャパンツアーの東京公演を探してみたらまだチケットがあったので購入。連番でとれなかったので誰も誘いませんでした。が~まるちょばの素敵すぎるパントマイムは検索してお楽しみください。
地方都市を舞台としたアニメが多く制作されて、アニヲタの聖地巡礼で各地が賑わっている。なんで地方都市を舞台にするんだろうね、原作者たちに共通の原風景とかがあるんだろうか。あとアニメの舞台となった景観に対するアニヲタと地域住民の景観評価の比較とかしてみたい。もちろんアニメの舞台となったから巡礼するんだろうけど、そういった部分だけを評価してるんだろうか。そこには共通の懐かしさがあったりしないだろうか。
・「聖地巡礼」は日本の風景の再発見のことと見つけたり – 一本足の蛸
深夜にふとアンケートの検定方法が不安になって同様の事例を探していたら、やっぱり間違っていた。
社会調査系の研究において、デモグラ×質問項目(順序尺度or心理学の間隔尺度)のクロスを検討する場合があります。
例 A地区、B地区、C地区×地区への愛着(1全くそう思わない-5非常にそう思う)
その場合は、χ2乗検定を行うと、順序情報を無視してしまうので、有効ではないことが指摘されています(内田, 1997)。
これは使えるかも! Kruskal-Wallis検定:ブログ風の勝手にSPSS日記:So-net blog
しかしこのブログ記事だけじゃ不安だ。この本買おうかな・・・。あれ、書いてて気づいたけど、僕の場合は行項目も列項目も独立してるな。そしたらやっぱりカイ二乗でいいんかな。しまった、またこんなところで混乱してきたぞ。
mixi見てたら、高校の同級生が今は家にくすぶってるけどあと2年景観を勉強するよーとか日記を書いてて、えー、マジでー、ようこそ景観の世界に!ってコメントを書き込もうとして我に返って読み返したら、同じハンドルを持つ研究室の後輩だった。そりゃ当たり前だ。コメントは書かなかった。
論文を書いてるはずなのになんか色々思いすぎじゃねとか思うよね。僕も思うよ。集中力が続かなくてmixiの最終ログイン時間が常に色濃かったり着々とはてブが増加してたりすることについては内緒にしててね!
コメント