M&Oplaysプロデュース「私を探さないで」を観た

外出

M&Oplaysプロデュースはよく広島まで公演に来てくれる。今回は河合優美がキャストということで、ミーハーな気持ちで久しぶりに見に行った。

岩松了の舞台は初めてではない。以前にも観たことがあるが、実はどんな話だったかあまり覚えてない。ただ静かな舞台だったという記憶だけぼんやり残っていた。今回観た「私を探さないで」も、やはり同じような印象の舞台だった。そこで、今回はこの舞台の感想戦をChatGPTと話し合ってみることにした。

物語は、かつて失踪した少女と主人公の再会から始まる。この少女が曲者で、過去のシーンでは本当にそこにいるはずなのに、現在のシーンでも主人公の幻想ではなく本当にいるようで、明確にならない。時系列も行ったり来たり、現実なのか幻想なのか境界がよくわからないまま展開していく。登場人物の関係もところどころ見えるものの、説明されることはほとんどない。僕らは断片を拾いながら、自分なりにこうなのかなと物語の輪郭をつくっていくしかない。

岩松は「日本のチェーホフ」と呼ばれるそうだが、彼の戯曲は会話やその複雑な展開を無理に理解しようとせず、そのまま受け取る方が向いているという。確かに、ストーリーを整理しようとすると目の前の演技を追えなくなるし、わざと難解になるよう、言わなくていいようなセリフまわしや、追わなくていいような演技があった。いっそ「全部把握しなくてもいい」と切り替えた方がいいというのは納得だ。前に観た作品の記憶が曖昧だったのも、そのつかみどころの無さゆえだったのか。

岩松了本人が舞台に登場している点についても、ChatGPTと話す中で意味がわかった。今回の役どころはややコメディ寄りだった。これは、作品全体の空気が沈みすぎないための緩衝材のような役割でもあり、作・演出家としての客観的な視線を舞台上に置く機能も果たしているらしい。確かに、野田作品でも野田自身はそういう立ち回りをすることが多く、今回の舞台における岩松の役割もそういう意味を持つのだなと思った。

物語自体は、核心に触れないまま終わる。誰がどう思っていたのか、何が本当だったのか、すべてが明確になるわけではない。それでも、場面ごとのやり取りや登場人物同士の距離の取り方が、観終わってからじわじわ残った。完全に理解できたわけではないが、それでも印象に残る瞬間はいくつかあった。岩松作品は、そういう観方になるのだと改めて思った。いやー、でもやっぱり、野田作品とかとは違った意味で、久しぶりに難しい演劇だった。

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