修士を無事に修了し、お祝い事がひと段落したところで、大学院進学に対する感想を整理したい。これまで読んでいた大学の先生や大学院生のブログ記事を紹介しながら書きたいのだけど、それはまた環境が整ってからまとめることにする。今回は大学院生の心構えについて。
■大学院は研究をするところ。
何よりもまず前提となるのはこれ。何か理屈をつけるとすれば、既に大学は研究機関でなく教育機関に成り果ててるのだから、最後の砦である大学院がこな前提を覆すような態度を取ってはいけないから。だから、研究するつもりの無い人は大学院に来てはいけない。
更には勉強したいだけの人も来てはいけない。研究の結果として勉強になったことはたくさんあるけれど、いくら勉強したところで研究で結果を出していない人は大学院生としての責務を果たしていない。
大学院の2年間で得られたものはたくさんある。相手が理解できるようにわかりやすく間違いなく話を伝える力、必要なものを取捨選択して明快に論を組み立てる力、上司や外部の人とコミュニケーションを取る上でのビジネスマナー…、こうしたものは研究を通じて指導され、身についてきたものだ。研究をしない限りは、逆にこういった教育さえ受けられないのだ。
大学院生の本分が研究であるからこそ、自分の研究はなるべく外部へ発表するべきだ。発表できるということは、大学院での研究生活が、社会的にも価値あるものだったことを表している。だから、大学院へ進学するなら、自分の研究を世へ放つことを目標にしよう。
■年間400万の機会コストを払ってまで進学すべきか。
大卒で年収300万貰えたとする。僕が2年間で250万支払って大学院に通わせてもらってる間に、同期は働いて600万稼ぐ。つまり修士の2年間って800万超の価値があるのだ。
修士は親のスネをかじってるだけでなく、社会に対してもスネをかじっていることに責任を感じて進学してほしい。
■進学を考え始めたその日から大学院生活は始まっている。
何の考えもなく持ち上がりで進学してしまうような人は、その時点で院生として終わっている。自分の人間性や研究したいこと、将来展望を見極め、またそれらと教授の指導方法や研究室の研究内容とが合っているか、または合わせていけるか、大学院に入る前からこれだけのことは整理し、調べておかなければいけない。
学部生に対して研究室選びのアドバイスをするときも同じだが、個人的にはドクターに進むつもりでもない限り、研究内容よりも教授の指導方法や研究室の環境を重視すべきだと考えている。最初の前提と矛盾するような話だが、最終的に研究者になろうとしない限り、大学院での研究は目的ではなく手段だ。自分に最適な環境を見つけることが出来たら、どんな研究でも立派に成果が出せるだろう。
これから大学院を目指す4年生にとっては、これから大いにリサーチをしていただきたい。縁もゆかりもない他大学の先生だろうと、アポをとって面前で話をしてみるべきだ。この段階で怖じ気づくようでは、仮にその先生のもとで修士につけたとしても、再び怖じ気づくのは目に見えている。
これから院を目指す人も、春から院生になる人も、常にまとわりつくプレッシャーに打ち勝てるよう、心身ともに健全であれ。
コメント
いい文章だ。