G7広島サミットについて、平和について

広島のこと

連休前から始まった物々しい警備も、サミット期間中の護送車の列も、こうした風景を今後見ることは一生無いのかもなと思うと、貴重なことだったと思う。確かに制限もあったし、無条件に従わされたと思わないこともないが、サミットがどこで開催されてもこれだけの制限が行われたのだと思えば、これまでサミットを開催してきた地域も同じようなご苦労をされてきたのだろうと想像できた。

開催直前にサミット粉砕デモというのが本通であったらしい。なぜ平和に向けて前向きに協議しようとしているサミットを粉砕しなければならないのか、この人たちはサミットを粉砕したいほど全否定して、何を望んでいるのだろうかと思った。

広島サミットをパフォーマンスに利用するなという記事も見かけた。パフォーマンスであるかもしれないけれど、それを否定してしまってはこのまちで平和運動に取り組む人たちの運動もパフォーマンスではないのか?政治家は権力を持っているからパフォーマンスではなく実効性のあることをしてほしいということ?市民は権力を持たないからパフォーマンスでも構わないということ?パフォーマンスであることを否定してしまっては、「広島こそ」というあらゆる運動がやりにくくなってしまうのではないかと感じた。

各国首脳たちが平和記念資料館を訪れ、慰霊碑に献花したことは、パフォーマンスだったとしても意義深いことだったと思う。戦勝国とか敗戦国とか、日本の侵略戦争とか、原爆投下の是非とか、そういったことは一旦置いて、目の前の原爆死没者に対して、ただ慰霊する。平和への祈りは普遍的で共通のものだということを確認できたのだと思う。

サミット期間中、平和を共通のキーワードとした各国の取り組みが多数あった。韓国のユン大統領は現職大統領として初めて韓国人原爆被害者慰霊碑に献花をした。インドのモディ首相からはガンジー像が寄贈された。各国首脳によって植樹されたソメイヨシノは被爆樹木の2世だった。それぞれの行いは政治的パフォーマンスかもしれないが、世界の国々の人が平和への思いを持ち寄ってくる街が広島なのかもしれない。様々な記念樹やモニュメントが溢れることを疎ましく思ったこともあったけれど、こういったものが溢れてこその平和都市広島なのかもしれないと思った。

主に広島ビジョンに対して批判的な声もあった。批判的な人たちの声も聞いてみようとある市民団体の動画を見てみたが、そもそも開催に関わった方々へのリスペクトが全く無くて見るに値する以前のレベルであった。ただ、はっきりと失敗と切り捨てている人は少なく、ある部分では評価しているが総括としては残念だという風に、バランスを取ろうとしていて、まったく対話ができないような人たちでは無いようにも感じた。

核廃絶を願う市民運動を否定するつもりはないが、平和都市広島に暮らす私たちが、広島を訪れる人々に、同じ目線で伝えられる広島の平和とは何か、非核以外で表現できる平和とは何か、そのヒントをこのサミット中に見つけられた気がする。

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